HIKOBAE PROJECT イベントレポート2011年8月1日
8月 1日、赤坂ガーデンシティ「La Scogliera」にて、塩屋俊氏の主宰するアクターズクリニックと、NYステラ・アドラー・スタジオ・オブ・アクティング、2つの演劇学校の業務提携の記者発表が行われた。これにより米演劇界の名門、ステラ・アドラー・スタジオの NY校、LA校で行われていたレッスンが本格的に日本で受けられることになる。加えて、提携を記念した共同プロジェクト「HIKOBAE PROJECT」始動が発表された。トム・オッペンハイム氏 (ステラ・アドラー・スタジオ・オブ・アクティング代表)、塩屋俊氏 (映画監督、プロデューサー、俳優 /アクターズクリニック主宰)、福島県相馬市市長・立谷秀清氏、趣里氏 (アクターズクリニック在学中 /女優 )らが登壇。ゲストとして伊藤信太郎元外務副大臣、塩屋監督作品『ふたたび〜 swing me again〜』に出演した財津一郎氏 (俳優 )がお祝いコメントを寄せた。
■ NYの演技レッスンが日本で受けられる、初めての試み
| 左より、塩屋俊氏、トム・オッペンハイム氏、趣里、福島県相馬市市長・立谷秀清氏。 |
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40年代より指導者として理論化に取り組んだステラ・アドラーの下からは、マーロン・ブランド、ウォーレン・ビーティ、ロバート・デ・ニーロ、ベニチオ・デル・トロ、メラニー・グリフィスなどの名優が送り出された。スタニフラフスキーによる演技法の存在は、古くから映画理論書などを通して日本にも伝えられてきたが、今回のように本格的に NY演劇のカリキュラムが日本で紹介されるのはほぼ初めてとなる。アクターズクリニック出身で現在は同校で講師を務める、演出家、俳優の梶原涼晴氏がプロジェクト発足の狙いを説明する。
「私自身、クリニック時代に塩屋先生にスタニフラフスキーに基づく指導を受けたことがきっかけで、2006年にステラ・アドラー・スタジオのオーディションを受けました。カリキュラムはボイス &スピーチ、ムーヴメント、インプロヴィゼーション、オーディション・テクニックなどなど、すべてが想像を超えるものだった。経済状況もあり、日本の俳優が一定期間渡米して本格的なトレーニングを受けることは難しい。そのような方々や、演技を本格的に追求したい方々のために立ち上がったのがこのプロジェクトです。対象は、すでにプロとして仕事をしている方々のほか、アマチュアの方にもステラ・アドラーのレッスンが受けられる門戸を開いています。発声、発音のエクセサイズなど、日本では体験できない内容が盛り込まれると思います」
ステラ・アドラー・スタジオの提携は、アクターズクリニックの主催者、塩屋俊の念願のプロジェクト。現在、ステラの意志を継いで同校を運営する、トム・オッペンハイムとの提携話は以前より進められていたが、そこに今年 3月 11日の東日本大震災が起こる。これが契機となって、2校が提携する「HIKOBAE PROJECT」が具体的に動き出したという。塩屋氏は語る。
「これまでも『0(ゼロ )からの風』『ふたたび』といった、社会の弱者にスポットを当てる作品作りを続けてきました。トムと提携について議論を重ねている折に、3月 11日に未曾有の大震災が東日本を襲った。提携作品としてトムから提案されていたのが、広島の原爆で被災した胤森貴士 (たねもりたかし )さんという 73歳の方の実人生を題材にした『IS IT ALREADY DUSK?』という舞台劇でした。原爆後遺症で盲目となった胤森さんが、やがて癒しの心を見出し、平和運動を続けてきた生き様を綴ったもの。唯一の原爆被害国である日本が今、震災から誘発された原子力エネルギーの再度被害者となっているという現実がある。かつて原爆を投下したアメリカ、ニューヨークの舞台で、この公演を行う意味は十分あるでしょう」
■人々を団結させる架け橋となる「HIKOBAE PROJECT」への期待
| 日本とアメリカの演劇教育の架け橋となる、今回の提携の立役者である、塩屋俊氏とトム・オッペンハイム氏。 |
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ステラ・アドラー・スタジオを主宰するトム・オッペンハイムは、そのコメントを受け「HIKOBAE PROJECT」への期待を語る。
「ステラは 40年代初頭に指導者としてキャリアをスタート。50年以上指導者として働き、マーロン・ブランドを始めとする数々の名優を世に送り出しました。塩屋氏の映画作品を拝見して、尊厳と人間性回復のために不正と闘う人々の姿に心動かされた。(かつて塩屋氏が語ってくれた)『政治や国家が国民を団結させることはできない。セリフで人を魅了し、人々を団結させ、健全さを回復させることができるのは芸術家だろう』という言葉。これは 3人の創業者、ジェイコブ・アドラー、ステラ・アドラー、ハロルド・クラーマンの精神なんです」
| 右は、お祝いコメントを寄せる伊藤信太郎前外務副大臣。「今回の提携は、地球規模で必要とされたもの。外交の世界でも、軍事や経済よりも、ソフトパワーと呼ばれる文化によって、強く結びついている。連携を深める上で、いっしょに物を作ることほど効果的なものはない。今回のプロジェクトには期待しています」 |
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現在、2012年に向けて 2つの舞台公演を計画中。
広島の原爆被害者を主人公に据えたこの作品は、プロジェクト第 2作として 9月の NY公演を目指している。第 1作となるのは、来年 3月 NYを皮切りに、福島県相馬、東京、広島で上演予定で進められている『HIKOBAE』。これは東日本大震災の被災地である福島県相馬を舞台に、医療現場のフロントラインで活躍する市民の闘いを舞台化したものだ。今回の記者会見には、舞台『HIKOBAE』の着想を得たモデルであり、現在、塩屋が撮影中のドキュメンタリーの主人公でもある、相馬市の立谷秀清市長も登壇者として駆けつけた。
「自然界のテロともいえる大震災、原子力政策のあやまちに対し、市民は必死で闘っている。震災について、私のところには何人かのフィルムを回す人から、情景を撮らせて欲しいという申し出がありました。しかし、私は塩屋監督に限ってそれを許可した。福島で起こったことをどうやって世界の人々に知ってもらうか。それを映画という媒体で展開することに期待しています」。
市長と塩屋氏の信頼関係の始まりは、数年前に遡ると語る塩屋氏。
「相馬市には映画館がないのですが、私の映画の上映を知り、ぜひ市民に見せたいと上映会を開いてくださった。立谷市長からは、『いつか相馬を舞台に映画をとってほしい』と言われていたんです。そんな折り、今回の震災が起こりました。震災当時、第一次産業をテーマにしたシリーズ三部作である映画の第一作を九州で撮っていた私は、第二作を相馬市で撮りたいと考えていましたが、震災時の立谷市長の活躍に心打たれ、ドキュメンタリー映画を撮らせてほしいと申し出をした。この 2つを同時にやろうと。そこにトム氏との提携作品として、広島を題材にした舞台の提案を受けた。映画 2作品に、相馬市の医療現場を題材にした 3月の舞台を加え、広島の原爆や相馬市の原発被害者に捧げる「HIKOBAE」というプロジェクトを立ち上げようと」
■「50年かかって実現した、このコラボは夢のよう」(財津一郎氏)
「HIKOBAE PROJECT」は、アクターズクリニックと NYステラ・アドラー・スタジオ・オブ・アクティングの提携の成果として、演劇界で話題を呼ぶことになるだろう。記者発表にも登壇した、アクターズクリニックの現役の生徒で、ステラ・アドラー・スタジオの短期ワークショップの受講経験もある、女優の趣里氏も、2校で学んだカリキュラムを通して、演技者として成長できたことを語る。
「クリニックに通う前は、演技論を難しいものと考えていました。しかしレッスンを受けるうち、一瞬一瞬を役に生きる楽しみを感じることができた。教えていただいたことは、これからの人生とってもずっと大切なものになるでしょう」
| 記者席より応援団としてエールを送るのは、塩屋作品『ふたたび〜 swing me again〜』に出演した俳優の財津一郎氏。 |
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最後に、駆けつけてくれた記者席の来客で、ひときわ話題を呼んだのが俳優の財津一郎氏。塩屋監督作品『ふたたび〜 swing me again〜』に出演したのが縁で今回の記者会見に列席。応援団としてエールを送った。
「スタニフラフスキーの演技論は、日本では一部の劇団で教えるのみで、我々は大衆演劇に行くしかなかった。舞台を見ることはできなかったが、本当のリアリズムとは何かを、フィルムを通して見て衝撃を受けた。50年後にこんなかたちでコラボレーションできることは夢のようです」
登壇者並んでのフォトセッションや、相馬市で撮影中のドキュメンタリーのダイジェストが上映された後も、塩屋氏や趣里を囲んだ質疑応答が活発に行われた。一般誌、専門誌記者からの突っ込んだ質問の多く、今回の提携プ
ロジェクトに対するメディアの関心の高さを伺わせる記者会見となった。
別途参照資料 :ステラ・アドラースタジオのルーツについて
《ブロードウエイ、ハリウッド映画の本質を変えた、スタニフラフスキーの演技論》
アクターズクリニックと NYステラ・アドラー・スタジオ・オブ・アクティングの業務提携のニュースは、「日本で本格的な NY演劇のレッスンが受けられる初めての試み」として、今年の演劇界の目玉的事件と言えるだろう。
ブロードウェイ演劇、ハリウッド映画の演技論の中核をなす「メソッド演技法」や、そのオリジンである「スタニフラフスキー・システム」。ロシアの演出家、コンスタンチン・スタニフラフスキーが提唱したこの演技論は、発声、動きなどのテクニックによる芝居ではなく、徹底的な役柄へのリサーチを行い、役柄の内面を獲得していくことでよりリアルな役作りを目指すというものである。
1940年代、NYの演劇シーンで体系化されたこの演技論の下に、若き演劇人が集い「グループ・シアター」が設立される。そこにヨーロッパで教育を受け、スタニフラフスキーに師事した経験を持つステラ・アドラーや、映画監督としても知られる演出家エリア・カザン (代表作『エデンの東』ほか多数 )らが加わって、シアターはさらなる発展を遂げた。「グループ・シアター」はやがて発展的に枝分かれし、ステラ・アドラーは「ステラ・アドラー・スタジオ・オブ・アクティング」を、エリア・カザン、リー・ストラスバーグらは「アクターズ・スタジオ」を設立する。後者は NHK-BSの人気番組『アクターズ・スタジオ・インタビュー』でもおなじみだろう。
やがてスタニフラフスキー理論の薫陶を受けた俳優、監督らがハリウッドに渡り、スクリーンに進出。『波止場』のマーロン・ブランド、『エデンの東』のジェームズ・ディーン、ポール・ニューマンら、型破りな新世代俳優の銀幕登場はセンセーショナルに迎えられた。70年代にアメリカン・ニューシネマの台頭とともに表れたニューカマー、ダスティン・ホフマン、ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノらもまた、いずれも若き日にスタニフラフスキーの演技論を学んだ俳優である。
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